・ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』、『錯覚』という章 冒頭:  かつて一つの自動車犯罪があった。  法廷において、真実を申し立てると宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥しておりほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りあげくで、道路はぬかるんでいたと証言した。  一人は、問題の自動車は徐行していた言い、他の一人は、あのように速く走っている自動車を見たことがないと述べた。  また、前者は、その村道には人が二、三人しかいなかったと言い、後者は、男や女や子供の通行人がたくさんあったと陳述した。  この二人の証言は共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、なんの利益があるはずもない人々であった。 証人の記憶: (前略)一例をあげるならば、一昨年(この書物の出版は一九一一年)ゲッティンゲンにおいて、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、或る学術上の集会が催されたことがある。  したがって、そこに集まったのはみな綿密な観察に熟練した人たちばかりであった。その町には、あたかもカーニヴァルのお祭り騒ぎが演じられていたが、この学究的な会合の最中に、突然戸がひらかれて、けばけばしい衣装をつけた一人の道化が狂気のように飛び込んできた。  見ると、その後から一人の黒人がピストルを持って追いかけてくるのだ。ホールのまん中で、彼らはかたみがわりに、おそろしい言葉をどなり合ったが、やがて、道化がバッタリ床に倒れると、黒人はその上におどりかかった、そしてポンとピストルの音がした。  と、たちまち彼ら二人とも、かき消すように室を出ていってしまった。全体の出来事は二十秒とはかからなかった。  人々はむろん非常に驚かされた。座長のほかには、誰一人、それらの言動や動作が、あらかじめ予習されていたこと、その光景が写真で撮られたことなどを悟ったものはなかった。  で、座長が、これはいずれ法廷に持ち出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだは、ごく自然に見えた(中略、このあいだに、彼らの記録がいかに間違いにみちていたかを、パーセンテイジを示してしるしてある)。  黒人が頭に何もかぶっていなかったことを言い当てたのは四十人のうちでたった四人きりで、ほかの人たちは、中折帽子をかぶっていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。  着物についても、ある者は赤だと言い、あるものは茶色だと言い、ある者は縞だと言い、あるものはコーヒー色だと言い、その他さまざまの色合いが彼のために発明せられた。  ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上着を着て、大きな赤いネクタイを結んでいたのである。(後略)