神道

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 神道はやはり日本独自の日本民族の宗教ですが、その姿を的確に捉えることができません。
 神道という言葉自体、仏教などのその他の宗教が登場してから、中国典籍から借りてきた名称であり、アニミズム、 シャーマニズム、あるいは祖霊崇拝など、また極限られた狭い地域での独自の信仰、あるいは有力な土豪、貴族が 独自に伝承する呪法、祭儀などが複雑に混じり合ったものなのです・・・。
 飛鳥時代では、武内宿禰を祖とする蘇我氏、饒速日命の鎮魂術「十種の神宝(とぐさのかんだから)」を伝承する物部氏、天鈿女命の「鎮魂術」を伝承する猿女氏などが ありましたが、中臣氏の台頭によりこれらは没落し、中臣氏の「祓え」の祭儀が神道の本流となっていきます。
 仏教が渡来すると、物部氏のように廃仏の動きもありましたが、渡来系の蘇我氏の支持を得て仏教は受け入れられていきます。
 結果として、早くから仏教と神道の関係は、仏教優位となっていき、平安期になると本地垂迹思想へと発展します。
 平安期には伊勢神宮周辺に真言系の両部神道が、鎌倉期には比叡山を中心に天台系の山王神道が現れました。また、同時期に神道を主体とした伊勢神道が渡会氏によって成立し、 伊勢神道は神道思想の教理化という側面を持っており、これ以降の神道に大きな影響を及ぼしました。
 さらに室町時代には、卜部氏(吉田氏)が吉田神道(卜部神道、あるいは唯一宗源神道)が創唱され、 儒教や仏教という枝葉や花に対し、神道はその根本であると唱えました。これは、神道、仏教、儒教が一致した教えであるという立場であり、 吉田家が神道の家元的な存在となり、全国に広まりました。
 後に、儒教を主体とした林羅山の理当心地神道や、仏教と儒教と習合しない復古神道が生まれました。
 復古神道は尊皇思想の傾向が強い垂加神道とともに明治維新で思想的推進力となり、維新後、神社神道は国家神道に位置づけられました。

■神道項目一覧
■神道の神々
 □造化三神(ぞうかのさんしん)
 □別天津神(ことあまつかみ)
 □天津神七代(あまつかみななよ)
 □伊邪那岐命と伊邪那美命の子供達
 □天岩戸
 □国津神
■禊ぎ
 □禊ぎ:Make Clean、下級の呪文
■祓い
■祝詞
■祓詞と大祓詞
 □大祓詞:Great Pay Gods、下級の呪文
■息吹法
■祭祀
■布斗麻邇
 □布斗麻邇:in Judgment、下級の呪文
■蘇民将来の神符
■御霊信仰
■言霊
■復古神道
 □古事記伝、オカルトの本 −日本語(古語)
■国家神道
■古事記
 □古事記、クトゥルフ神話の本/オカルトの本 −日本語(古語)
■蟇目神事
 □蟇目:Toad Arrow、魔法の品物
■十種の神宝
 □十種の神宝:Total Cure、下級の呪文
■十言神咒
 □十言神咒:Word of Ten letters、下級の呪文
■氏神と氏子
■鳴弦
■鎮魂
■帰神

■神道の神々
 神道独自、あるいは日本の神々と神話をここで簡単に紹介します。

□造化三神(ぞうかのさんしん)
 天地開闢と共に、高天原に出現した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、 神産巣日神(かむむすびのかみ)の三神を造化三神と言います。
 天之御中主神は天の中心となる神であり、一番最初に登場する神です。
 次に高御産巣日神が現れ、天地すべての生成の神です。三番目の神産巣日神も生成に関わる神で、高御産巣日神と 男女一対の神であると言われています。
 これらの造化三神は現身を持たないと言われています。

□別天津神(ことあまつかみ)
 造化三神に、宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこちのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)を 併せた五柱の神を別天津神と呼ばれ、天津神の中でも特別な存在としています。
 宇麻志阿斯訶備比古遅神は生命の営みを司る神、天之常立神は高天原に留まっている神です。

□天津神七代(あまつかみななよ)
 別天津神の後に、国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくもぬのかみ)、続いて男女一対の 宇比地邇神(ういぢにのかみ)と須比智邇神(すいぢにのかみ)、角杙神(つのぐいのかみ)と活杙神(いくぐいのかみ)、 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)と大斗乃辧神(おおとのべのかみ)、淤母陀琉神(おもだるのかみ)と阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、 そして伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)です。
 ここまでの七代の神を天津神七代と呼び、これらは様々な神であると言われています。

□伊邪那岐命と伊邪那美命の子供達
 中でも伊邪那岐命と伊邪那美命は、大八州国(おおやしまくに)と呼ばれる日本の国土を作り、多くの子を産みました。
 その子等は、風の神の志那都比古神(しなつひこのかみ)、木の神の久々野智神(くくのちのかみ)、山の神の大山津見神(おおやまつみのかみ)、 野の神の鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)などの自然の神です。
 最後に伊邪那美命は火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を産んだため死んでしまいますが、それでも鉱山の神の金山毘古神(かなやまひこのかみ)などを 産んでいます。
 そしてまた、火之迦具土神が伊邪那岐命に斬り殺された際には、岩杙神(いわさくのかみ)や、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)などが産まれました。
 伊邪那岐命が死んだ伊邪那美命を追って黄泉に行き、帰った際に禊ぎを行った時に産まれた神は海の神である、 綿津見(わだつみ)三神や、住吉(すみのえ)三神がおり、そして天照大御神(あまてらすおおみかみ)、 月読命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)もこの禊ぎの最後に産まれました。
 この最後に産まれた三神が、それぞれ高天原、月、海原を統治することになりました。

□天岩戸
 海原を統治するようになった須佐之男命ですが、しかし国を治めず母である伊邪那美命を思って泣いているばかりでした。
 ついには母に会いに行こうと暇乞いに高天原を訪れますが、その時に乱暴狼藉の限りを尽くし、ついに天照大御神は 天岩戸に身を隠してしまいます。
 このとき、天照大御神を岩戸から出すために活躍したのは、高御産巣日神の子である知恵の神の思金神(おもいかねのかみ)、 八咫鏡を作る伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、八坂瓊勾玉を作る玉祖命(たまおやのみこと)、 岩戸の前で祝詞を奏した天児屋命(あめのこやねのみこと)、玉串を捧げた天布刀玉命(あめのふとだまのみこと)、 そして岩戸を押し開けた天之多力男命(あめのたぢからおのみこと)、舞を奉じた天鈿女命です。
 これにより、須佐之男命は高天原すらも追放されてしまいます。

□国津神
 天津神以外の、主に出雲の神々です。
 出雲に降り立った須佐之男命は八俣大蛇を退治して、櫛名田比売命と結ばれ、その子孫達は出雲の国造りを行っていきます。
 また、須佐之男命は大山津見神の娘、神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)とも結ばれ、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)をもうけています。
 また、出雲の中心的な神である大国主神(おおくにぬしのかみ、あるいは大己貴神(おおなむちのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ))も 須佐之男命の子孫です。

■禊ぎ
 禊ぎの起源は、伊弉諾尊が黄泉国の穢れを禊ぎ、清浄な身心で天照大神などの三柱の貴子を得たことに始まったと言われています。
 禊ぎは本来、葬儀の際に海水に浸って沐浴し、身を清めることでした。死は穢れであり、穢れを身に受けたときにそれを自ら洗い流す方法であり、 禊ぎは即ち、「身滌ぎ」であったわけです。
 あるいは、伊弉諾尊は穢れを落とすために身につけている物をすべて投げ捨てたため、「身削ぎ」であるとも言われています。
 また、「身滌ぎ」の「滌」には、動かすとの意味もあるためか、禊ぎは一種の魂振り(鎮魂法)であるとも見られています。

□禊ぎ:Make Clean、下級の呪文
 穢れ(具体的には、死や、血などで、それらと関連のある病気、葬式、出産など)に出会った場合に、 禊ぎを行うことで、穢れを祓う呪文です。
 術者は2D20分間の沐浴を行い、MPを1D10消費します。禊ぎが滞りなく行われた場合、術者のSANが1ポイント回復します。
 この呪文は1シナリオの間に一度しか試みることができず、また、SANの最大値を超えて回復することはありません。

■祓い
 祓いは、「払い」に通じ、祓いの起源は、八百万の神が高天原で天津罪を犯した素戔嗚尊に対して科したことが最初であると言われています。
 素戔嗚尊は、「千座置戸」を差し出し、高天原を追放されます。つまり、祓いとは一種の刑罰であったのであり、罪に属する行為に対して、 他からこれを払ってもらう、という儀式なのです。そのため、祓いは身に降りかかった穢れを祓うという意義を持つようになったのです。
 禊ぎ祓いは修祓(しゅばつ)とも言い、修祓とは俗に言う「お祓い」のことです。

■祝詞
 祝詞とは、神の言葉として人々に聞かせるものと、人が神に聞いていただくものの二種があります。
 前者は文末が「宣る(のる)」と宣下する形であり、後者は「白す(もうす)」「申す」の奏上する形です。
 祝詞として一般的に知られる「大祓詞」は、もとは宮中にある、あるいは全国内の罪と穢れを祓うために中臣氏が唱えたため、 中臣祓詞ともよばれます。

■祓詞と大祓詞
 神道とは、祓えの宗教と呼ばれるほど祓いが重要です。
 祓いで身心を清浄に保っていれば、神の守りが篤いと言われ、祓詞は神事の前に必ず唱え等得るほど重要です。
 また、「大祓詞」は前述の通り中臣祓とも呼ばれ、大祓詞を宣るのは、代々中臣氏に限られてきたからです。
 大祓詞は「日本書紀」の神代巻を要約したものだと言われ、宮中や神社は言うに及ばず、年に二回の大祓祭でも唱えられています。
 奏上すればあらゆる罪と汚れが失われ、どんな厄も落とすことができると言われています。

□大祓詞:Great Pay Gods、下級の呪文
 この呪文は祓えの呪文のまとめとします。
 祓えの呪文は、定められた祓詞を唱え、MPを1D10とPOWを1ポイント消費することで、身を清め、災いを避ける呪文です。
 この呪文を唱えた後、1D10日の間、対象となったものは自らに対して降りかかる災いや穢れに対しての抵抗、あるいは成功ロールに+5%の効果を得ます (このロールにはSANチェックを含みます)。
 また、この祓詞が唱えられた時点でSANチェックを行い、失敗した場合に1ポイントのSANを回復させることができます。

■息吹法
 伊邪那岐命が狭霧を吹き払ったことに由来する息吹法は、罪や穢れ、病気や邪気を祓うと言われています。
 自らを御言持ち(みこともち、神の御言(みこと)も持つ者)であると想念し、息を強い調子で吹き付けます。

■祭祀
 祭祀とは文字通り、神を祀り(祭り)、神への感謝、祈願、慰撫を目的としています。
 多くは神の宿る御霊代(みたましろ)と呼ばれる、神が宿った物に対して行われます。そこへ宿った神に対して、 祈念や、祝詞、楽舞などを捧げるのです。
 しかし、場合によって人に憑かった神に対して行われ事もあります。
 神武天皇即位の時には、神武天皇自らに高皇産霊尊の「顕斎(うつしいわい)」を行ったとされ、これは目に見えない神を 見えるようにして祭る意味だと考えられます。
 つまり、神武天皇自らに高皇産霊尊が憑いたということです。神功皇后のような明確な神憑りではありませんが、 祭祀の一つの方法であると言えます。
 また、祭祀を司るのは本来女性であり、顕斎において神武天皇は道臣命を斎主(神主)に命じると共に、「厳媛」という 女性の名を授けています。
 つまり、神を祭る役目としては女性でなければならなかったと考えられます。また、天岩戸に籠もった天照大御神を呼び戻す際の 天鈿女命の働きなども巫女の役割を窺わせます。
 巫女は現在は神社では、祭祀の補助の役割を果たしているにすぎませんが、本来は司祭者であり、そして神の意志を伝えシャーマンであったのです。

■布斗麻邇
 布斗麻邇(ふとまに、太占とも書きます)とは、神の祟りか、否かを調べる占いの法だったのですが、転じて占いを指す言葉となっています。
 布斗麻邇の主なものは、亀卜、あるいは鹿卜です。
 亀卜は亀の甲羅を清浄な炎で焼き、そのひび割れの具合から吉凶を知る方法で、鹿卜は鹿の肩骨を用意し、 それに清浄な炎で焼いた錐を、占いたい内容を祈願した後に肩骨に突き刺し、その貫き具合から吉凶を見るものです。
 凶と出れば、祟りを祓うために身を慎み、禊ぎ祓えを修し、祓えのものを供え、罪科の許しを祈るのです。

□布斗麻邇:in Judgment、下級の呪文
 この呪文は未来を占う呪文ではありません。
 すでに起こった事、起こしてしまった事に対して、それが凶か、吉かがわかる呪文で、未来を見るのではなく、 過去に起こった事を占う呪文です。
 術者は1D4時間の祈願の後、自らの流派の卜を実施し、MPを1D6点消費することで、祈願の対象となった事柄に対して、 大吉、吉、凶、大凶の四種で判断することができます(キーパーは術者にのみ、正確に教えるようにしてください。 ・・・、まあ、大方凶か、大凶でしょうが(笑))。

■蘇民将来の神符
 赤、あるいは白い紙に「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と文字を記し、家の戸口などに貼っておくと、 一家が流行病に感染しないと言われています。
 これは蘇民将来の伝承と、牛頭天王の伝承が中世に融合した結果生まれたもので、祇園信仰の中軸をなしています。
 祇園信仰の総本社は、今日との八坂神社で、御利益はとくに疫病退散、邪気払いに霊験があるとされています。
 牛頭天王はインドでは武塔大神と呼ばれ、祇園精舎を守護すると言われています。
 伝承によれば、武塔大神が旅の途中、日暮れに宿を借りようとした時、兄の蘇民将来は貧しかったのですが、宿を貸し栗飯でもてなしたのに対し、 弟の巨旦将来は金持ちであったにも関わらず、宿も貸しませんでした。
 後に、武塔大神が戻ってきたとき、蘇民将来に「汝の子孫が、巨旦将来の家にいるか」と 尋ねました。蘇民将来が娘と妻がいると答えると、茅の輪を腰の上につけさせておくようにと言ったので、そのようにさせると、その夜にその家族を除いた 全員を殺してしまいました。
 このとき、武塔大神は自らが素戔嗚尊であると名乗り、後世に疫病があれば、「蘇民将来の子孫」と言って茅の輪を腰の上につけておけば、 その家の者は全員免れると言いました。
 そのため、武塔大神=素戔嗚尊(牛頭天王)となり、蘇民将来の信仰も習合されてしまいました。

■御霊信仰
 祟り神として恐れられていた御霊(みたま)を祀っている神社が日本には多数存在しています(神田明神然り)。
 御霊とは、非業の死を遂げた怨霊に対する尊称です。
 祈祷しても、祓いをしても祟りが収まらない場合に、これらの怨霊を神として祀ることで守護霊へと転化する方法が取られ、 これを御霊信仰(ごりょうしんこう)と呼びました。
 これら御霊信仰の代表格として、崇道天皇(早良親王)菅原道真、崇徳天皇、淳徳天皇など枚挙にいとまがなく、 その多くは(ほとんどは)、皇家、皇族です。
 御霊信仰は、当初貴族が中心でしたが、武家達の台頭と貴族の凋落とともに、武家と民衆のものへと変化していきました。
 江戸時代には特定個人の横死や、冤罪死などを基盤として続々と御霊が生みだれました。
 しかし、これらの御霊信仰は、代表格の北野天神を見ればわかるとおり、現世利益へと帰着するようです。
 平将門も、江戸期にはすでに神田明神として祟り神としてよりも、江戸の守り神として現世利益の信仰となっています。

■言霊
 言葉に宿る霊威、あるいは発した言葉が現実の事柄に影響を及ぼすというものです。
「万葉集」などにも、大和国は「言霊の幸はふ国」とも記され、日本では言霊が非常に効果があると思われています。
 祝詞なども、それらが読み上げられることで、言霊により繁栄がもたらされ、罪や汚れが 祓われることが期待されているのです。
 また、その一方に言霊により神意に反することを恐れ、神職などが「言挙げ」、自らの意志を積極的に口にすることが慎まれることがあります。
「古事記」にも、日本武尊が不用意な言挙げにより、伊吹山の神の祟りにあって死んだという話があり、「万葉集」に 「葦原の水穂の国は神ながら言挙げせぬ国」とも歌われています。

■復古神道
 神道には明確で、正統的な教義が存在していなかったため、理論の整備された仏教や儒教に負う形で、「日本書紀」や、 「中臣祓」などの注釈書が各学派によって作成されてきました。
 江戸中期になると、それまでの仏教、儒教と習合しない純粋な神道を探求する運動がおこり、この古典文献の研究を元にした 学問を国学と言います。
 この国学者達によって体系づけられた神道を、復古神道、あるいは国学神道と呼びます。
 復古神道の代表者には、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤のいわゆる「国学四大人(こくがくよんうし)」があげられ、 その成果として、宣長の「古事記」の注釈本、「古事記伝」が有名です。
 また、篤胤の門下には幕末維新期の王政復古運動の思想に影響を与えた国学者が多く、その大国隆正、鈴木重胤などの 神道説を復古神道と呼ぶ場合があります。

□古事記伝、オカルトの本 −日本語(古語)
 本居宣長が著した言われる、古事記の注釈、解説書です。
 正気度消失ポイントはありません。<神道>に+8%。呪文はありません。

■国家神道
 明治政府により、国家の管理下に置かれた神社神道です。
 より正確には、法令などによってその他の教派神道、あるいは宗派神道と区別させられた神道です。
 この名称は戦前よりありましたが、戦後、GHQにより明確に指されました。
 国家神道は、政府によって優遇されている神社だと思われがちですが、明治10年代には、神道の意義を教化するための 教導職から神官が分離され、また、官国弊社への国庫からの支出も廃止されています。
 つまり、政府は神社の非宗教化と、国と神社の分離を目指していたようです。

■古事記
 本書の序文によると、稗田阿礼が天武天皇に命じらて編纂された史書です。
 天地開闢より、推古天皇まで記されています。史書と言いますが三分の一程度は神話であり、非常に文学的です。
 和漢混交の形態で書かれており、神話的な言語の保存や、あるいは国内向けに編纂された意図があるようです。
 後に成立した日本書紀や、あるいは続日本紀にまったく古事記の記述が無いことから、偽書ではないかと言われましたが、 本居宣長の注釈書「古事記伝」により脚光を浴びるようになりました。

□古事記、クトゥルフ神話の本/オカルトの本 −日本語(古語)
 正気度消失ポイントは1D3/1D6(ただし、<クトゥルフ神話>にボーナスがなければ、消失なし)。 <神道>に+4%(キーパーの判断により、<クトゥルフ神話>に+6%)。呪文倍数は、×5です。

■蟇目神事
 蟇目は、引目、あるいは挽目とも書きます。
 蟇目神事は夜間に大型の鏑矢を射ることで、妖怪魔物を除くするものです。
 蟇目神事に用いられる蟇目は、中が空の木製の鏃を用い、それを射ることで音を発し、その音が魔物を祓う力があるとされています。 また、弓を射る際の弦が鳴る音も同じく魔を祓う効果があるため、相乗効果があるというわけです。
 この蟇目と呼ばれるのは、その鏑矢の形状がヒキガエル(蟇)に似ているからだとも、響き目の転訛だとも、 あるいはその発する音がヒキガエルの鳴き声に似ているからだとも言われています。

□蟇目:Toad Arrow、魔法の品物
 蟇目法に用いられる蟇目の鏑矢です。
 蟇目を射ることで、闇に潜む魔物を追い払うことができます。

■十種の神宝
 物部氏の始祖とされる、饒速日命が天降ったときに、天津神から授けられたという、十種の神宝とその呪法です。
 十種の神宝とは、息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、 足玉(たるたま)、死反玉(まかるかえしのたま)、道反玉(ちがえしのたま)、蛇の比礼(おろちのひれ)、 蜂の比礼(はちのひれ)、品々物の比礼(くさぐさのもののひれ)です。
 鏡、剣、玉(曲玉)は古代の豪族達の伝家の宝物であり、比礼とは薄い布状の装飾品です。
 これらの十種の神宝を合わせて、「一二三四五六七八九十(ひふみよいなむやここたり)」と唱え、 「布留部由良由良布留部(ふるべゆらゆらとふるべ)」と揺り動かすのです。これによって、死者をも生き返らせることができると言います。
 古代においては、人間が弱ったり、あるいは病気になるのは、魂が肉体から遊離しているためだと思われていました。そのため、 遊離した魂を元の体に鎮め、長生を祈ったのが鎮魂祭です。
 十種の神宝はそのゆらゆらと振り動かすことから、「魂振り」などとも呼ばれました。
 なお、発音に関しては、かなり幅があるようです。
「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり」と切る場合もあれば、「そてなていりさにたちすいいめころして」とも・・・。 それぞれの神道がそれぞれの教えに沿って発音を持っているようです。

□十種の神宝:Total Cure、下級の呪文
 この呪文は対象のあらゆる状態を正常に復帰させます。
 死を含めた、あらゆる状態を元に戻し、耐久力を最大まで回復させます。ただし、消失した部位を復活させることはできません (そのため、致命的な部位を失っている死者を復活させることはできません。もちろん、名状しがたい死体を作ることも不可能です(笑))。
 この呪文を唱えるためには1D10ラウンドが必要で、2D10ポイントのMPと、1D6ポイントのSANを消費します。
 また、この呪文が唱えられることで死者が復活した場合、術者は「死者が復活する」ことによるSANの消失を免れることができます (もちろん、この呪文の効果によるもののみですが)。
 ただし、術者以外、あるいはこの呪文を覚えているキャラクター以外は、この呪文による死者の復活を目撃した場合、 1/1D6ポイントのSANを失います。

■十言神咒
 十言神咒(とことのかじり)は高天原の主宰者であり、最高神である「天照大御神」の神法です。
 この神法はただ、「アマテラスオホミカミ」と神名だけの神咒で(そのため、十言なのです)、 至誠を込め唱するだけで、様々な神徳を授けられると言います。

□十言神咒:Word of Ten letters、下級の呪文
 この呪文は万能の神である天照大御神の加護を得る呪文であるため、あらゆる効果を得ることができます。
 術者は十言神咒呪文とともに、2D10のMP、1D3ポイントのPOW、1D6ポイントのSANを消費することで、 以下から一つの効果を得ることができます。

※キーパーはこの呪文が強力すぎる、あるいはクトゥルフの呼び声は言うに及ばず、帝都モノガタリにも向かないと 判断した場合は、この呪文の削除あるいは、縮小して使用してください。

■氏神と氏子
 氏神とは元々は血縁関係にあった一族が、共通で祀る神であり、その一族の祖先神、あるいは由緒の深い神である ことが多かったようです。
 また、氏神は産土神とも呼ばれ、産土とは産まれた土地、本拠地などの意味で、その土地を守護しているのが、 産土神です。
 しかし、婚姻や住居の移動などで氏神と産土神の区別がなくなり、地域の共同の守り神としての正確が強くなりました。
 氏子とはその氏神の祭祀の地域に住み、その祀りに参加したり、あるいは儀礼の際にお参りを行う人々の事です。
 つまり、氏神とは、その氏神の地域内住む、氏子が信仰対象とする氏神のことです。

■鳴弦
 弓の弦を掻き鳴らす事で、穢れやあるいは魔を祓い、場を清める法です。
 古来より、宮中で皇太子が生れた時にその平安を願い、魔を払う儀式として鳴弦の儀という儀式が 行なわれていました。
 後に梓巫女達が梓弓を掻き鳴らして神憑りをしました。

■鎮魂
 魂の活性化、あるいはその逆の沈静化を行う儀式です。
 前者の場合、「みたまふり」と読み、後者の場合は、「みたましずめ」と読みます。
 旧暦11月に行われる鎮魂祭は、この二つの働きによって、大嘗祭や新嘗祭に先立って天皇の霊威を高めるものとされています。
 みたましずめは天照大御神の天岩戸籠もりの際の、天鈿女命の所作が背景にあるとし、みたまふりは十種の神宝による 呪法に由来すると考えられています。
 江戸期に本田親徳によって確立された鎮魂法は、魂を安定させ、あるいは木や石に魂を宿らせるもので、帰神と連動しています。

■帰神
 帰神は、「カミヲヨセタマヒキ」と読まれ、仲哀天皇記に、息長帯比売命(神功皇后)が帰神したと書かれています。
 これは、神功皇后が神を招き寄せ、皇后に憑かったことを表しています。
 本田親徳はこの神憑りの呪法を「帰神法」と名付け、体系付けました。
 それによると、帰神法は自感法、神感法、他感法の三つに分類され、自感法は自らの力によるのみの神憑りであり、 神感法は神が一方的に憑依するもので、他感法は審神者が神主(神憑かる本人)の憑霊を導き、その神の正体を審神者が 明らかにするというものです。
「古事記」では、武内宿禰が審神者となり、仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后が神憑かっています。
 本田親徳の帰神法では審神者によって石笛が吹かれますが、これらの楽の音は神憑りやすくするために用いられました。