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 その他の、特に何らかの宗教や体系的な呪術に含まれない項目、あるいは項目数の関係から、独立した項目として扱わない項目です。

辻占

 文字通り、辻にて行われる占いです。
 日が暮れてから四つ辻に立ち、占いを行う者が平生信仰している神仏に祈念するか、あるいは占いの作法に従って祈念した後、道を行き交う人々の言葉を密かに聞き、それを占う事柄に当てはめて判断します。
 通行人は二人連れか、あるいはそれ以上で話しながら歩いている者となる訳ですが、2回まではやり過ごし、3回目に逢う通行人の言葉を聞くのが正式な作法と言われています。
 辻占は安倍清明が自らの寿命を知ったときに、卜筮の道具を泉州境のある町の四つ辻に埋めたとする伝説を元とし、その辻で、安倍清明を知る者達が通行人の言葉を聞き、占ったことから広まったと言われています。

東学

 東学は、1860年に崔済愚によって創唱された朝鮮の新宗教と言えるものです。
 没落両班であった崔済愚は「天」の感応を受け、救世主としての使命に目覚めたと言います。
 彼は自らの教えを「東の教え=東学」と呼び、李朝政府の圧政腐敗と、対外的な危機の克服を目的とし、「輔国安民」というスローガンを立てたました。
 また、崔済愚は「天」から呪文を受け取り、それを教えの根幹としました。
 東学の基礎である「侍天主」という思想は、究極の実在者である「天」が自己の内部にも存在するというもので、これらの汎神論的な「天」と、崔済愚に召命したような人格神的な「天」の混交こそ東学の「天」観です。

舞剣騰空

 東学の秘術で、宝剣「湧天剣」を持ち、特別な呪歌を歌いながら舞うと言います。
 すると、剣を持つ者は空に浮かぶことができ、湧天剣の鋭い刃が宇宙に広がり敵を討ちます。
 当時の朝鮮の人々は、日本や西洋列強の侵略と、宮廷内の腐敗をこれで祓おうとしました。

鏡聴

 鏡の持つという『観る』能力を利用した予知、予言、あるいは占いの一つです。
 方法は、柄杓で水をかき回し、そして手を放して柄杓が水に回るのに任せます。そして、手鏡を抱いてその柄杓が指した方向へ歩いていき、密かに他人の言葉を聞きます。
 最初に聞いた言葉が、将来の吉凶を教えると言います。
 あるいは、この方法はいわゆる辻占の一つであると言えるかも知れません。

鏡聴:Fortune Telling by Mirror、下級の呪文

 この呪文は一般的な、何らかの効果を直接もたらす呪文ではありません。
 この呪文は呪文ですが何らかの言葉を発する必要はなく、また魔力を持った鏡を持っている必要もありません。ただの鏡を利用して行われます。
 この呪文を唱えた(行った)者は、MPを1消費し、何らかの未来(あるいは、シナリオの行く末)を暗示するような会話や、それに類するものを聞く可能性があります。
 あくまで可能性があるだけで、キーパーは(本当に)無意味な会話や、あるいは何も無かったことにしても構いません。

お札

 乱暴ですが、霊符などをここへ集約しておきます。
 お札、霊符などは詰まるところ何らかのものへ、何らかの手段を持って、何らかの力のあるものを書き付けることで力を発揮する呪法です。
 この「何らかの」には、それぞれの流法の手段が代入され、多くは紙に墨を持って、神の名、呪文、あるいは、神そのものの姿や、あるいは何かを象徴する図形などを書き付けます。
 当然、お札は一つの効果を持ち、そして多くが一回のみの効果を持ちます。
 お札の多くは、そのまま張り付けるものですが、中には焼き、灰にしたものを飲んだり、あるいは撒くなどして効果を発揮するものもありました。
 とくに病気の治療などに使われるものは、飲むことが多かったようです。

百魔を祓う燈明、魔法の品物

 燈明(・・・分かりやすく言うと、いわゆる携帯できる小型の提灯ですね)に百魔を払うという霊符が張り付けてあるものです。
 この燈明に火を灯し掲げると、その光に照らされた魔物は、POW×3のロールを行い、失敗した場合はその光の範囲内から逃げだそうとします。

陰陽道の霊符、魔法の品物

 陰陽道には様々な霊符があります。
 それらは、普通の墨と和紙を持って(まあ、もちろん墨は自らすったものが良いでしょう)霊符を作成します。また、和紙の代わりに符板と言う、木簡の様な木を用いる場合もあり、また墨の代わりに朱砂を用いる場合もあります。
 陰陽道の霊符は、多種多様です。
 以下に、その例を挙げておきます(効果などもそのままです)。


弓乙の霊符、魔法の品物

 東学党で実践されたと言われる、治療行為で用いられた霊符です。
 力のある道士が文字通り、弓乙、あるいは弓と書いた霊符を焼いて灰にし、患者に服ませました。
 万病に効いたと言われています。

神降ろしと依童

 日本では古来、神を宿らせたり、あるいは霊からの啓示、預言を受ける者達を「巫覡」」と呼び(巫は女の巫(かんなぎ)、覡は男の巫のことです)、あるいは、「みこ」と呼ばれました。みこは、現在では「巫女」と当て神に仕える女を意味していますが、本来は「御子」、あるいは「神子」であり、神の子を指す言葉でした。
 この神霊、あるいは邪霊を一時的に体内に宿らせ、啓示や予言を受けることを神降ろしと言い、呼び出すのが死者の霊の場合は、口寄せとも言われます。
 そして、呼び出された霊の容れ物となるのが、依代、憑坐と呼ばれる巫覡、あるいは依童と呼ばれる少年少女達で、依童として使われるのは、感応力の強い特別な気質を持つ子供たちです。
 神憑りの多くは、巫覡や依童に神や霊が憑くものですが、逆に巫覡が自らの魂を異界に飛ばすこともでき、これを脱魂と呼びました。
 これらは神道では、帰神法と呼ばれ、神話時代から語り継がれています。

巫病

 古来、巫女が選ばれるには、様々な理由がありましたが、その中で最も特殊なものがこの巫病(ふびょう)です。
 突然、何からの霊的存在に憑かれた状態となり、幻覚や幻聴、あるいは異常行動をとったりするなどし、あるいは原因不明の病気や災厄に見舞われます。
 この巫病にかかった者は、内から聞こえる神の声や命令に反発しますが、神に仕えることを受け止めると、巫病は癒え、そして新たに巫女として再生するのです。

キツネ憑き

 狐は人にとりつく獣の代表です。
 狐憑きになると、動作が狐のようになると言われ、顔立ちなども狐に似てくると言います。
 狐憑きは狐が乗り移ってかかるという一種の精神病だと言われており、大正期では多くの土地にキツネ憑きがおり、話題になっていたと言われてます。
 仮に精神病だとした場合、その発生は人口比率からいえば市街地のほうが多いはずですが、実際は農村地帯に多く見られ、また、山林原野の多い地域に集まり、市街地では裏町に多いと言います。
 稲荷神社はこれらの憑き物を落とすためのものであると同時に、全国に散らばるキツネたちの所轄を示す物だとも言われています。
 これらのキツネを使い、キツネ憑き状態に陥らせるキツネ使いも多く、数多くの呪法を生み出しています。
 四国の犬神に対し、関東では管狐と呼ばれる有名な憑き物のキツネがおり、このキツネは小さく竹の筒(管)に入れて飼うことができることから、その名が付いています。
 関東のキツネについては諸処の説があり、この管狐は飯綱権現の使役神であるとも言われています。

練丹道

 中国の錬金術と言える魔術です。
 卑金属を貴金属に変えるのが西洋の錬金術ですが、中国の練丹道が不老不死の霊薬(=仙人となる霊薬)「丹」を制作することが主な目的です。
 中国の練丹術の思想は13世紀頃にヨーロッパにも伝わり、錬金術を不老長寿探求のシステムとなる原動力ともなりました。
 体系化され、やはり西洋の錬金術に似た、段階を踏んだ過程を持って丹が精製(より純度の高い、原物質的な純粋な物質となる)されると いうようになっています。
 あるいは、気功の一種と考えられ、丹田で気を練ることを練丹道とも言うようです。

採り物

 日本のシャーマンたる巫女が神憑る際に、自分自身を神の依り付く依代となるために何らかの呪物を用いることがあり、 これらを採り物と呼びます。
 採り物の多くは、古来より聖なる植物とされた神と関わり深いものが用いられました。
 梓巫女の梓や、あるいは沖縄のユタ(巫女)が用いる稲なども採り物と言っても良いでしょう。植物以外で最も多用されている採り物は御幣で、あらゆるところで用いられています。

観音力

 泉鏡花が好んだ言葉で、魔を祓い、人々を救済する、慈悲深い女性的な魔力を称したものです。
 対して、魔物的な、荒々しい男性的な魔力を、鬼神力と呼びました。

コックリさん

 狐狗狸とも書きます(これが、キツネ、イヌ、タヌキと人に憑く、化かす、化けるの代表的な動物の集まりであることに注意してください)。
 明治二十年代に、外国からテーブルターニングと呼ばれる心霊術を起源に持つと言われています。
 テーブルターニングとは、文字通り霊がテーブルをYesなら右へ、Noなら左へ回す、と言った方法で質問に答えると言ったものです。
 また、テーブルターニングの他にウィジャ盤と呼ばれるYes、Noとアルファベット(あるいは、その国の文字)が書かれた盤上に振り子をかざし、振り子が揺れることで応えるものなど、コックリさんと同様のものもありました。
 入神状態に入っての霊導を受ける儀式は、同種のものが支那や、日本にはすでに存在しており、こっくりさんはそれらが明治中期に習合したものであると言われています。
 こっくりさんなどの手軽な心霊術は日露戦争をはじめ、世情が不安になると流行しました。

犬神

 主に西日本、特に四国を中心に行われた呪法、あるいは憑き物の一つです。
 四国では、外道とも呼ばれます(外道神、外道犬とも)。
 ある犬の霊につかれた者を犬神憑きと言い、その犬の霊そのものを犬神とも言います。
 犬神に憑かれた者は、犬のように四つん這いで歩いたり、あるいは吠え、意味不明の言葉を喚いたり、あるいは自分の秘密を暴露したりすると言います。
 犬神は特定の一族、血族に祀られ、あるいは使役される場合もあり、その場合、犬神を祀る一族は、犬神を使って自らの家を繁栄させるか、あるいは相手に危害を加えると言われ、「犬神筋」、あるいは「犬神持ち」と呼ばれ、周りの人間達には畏怖され、遠ざけられました。
 犬神を使う者達を「犬神使い」と呼び、一種の蠱毒であり、蠱毒と同じ製法で生み出されました。

花会(チーハ)

 元は支那の賭博であると言われ、また麻雀の成立にも影響を与えたと言われています。
 ルールは実に単純で、三十六枚の札の中から、師父老と呼ばれる親が抜き出す札を予想して金を賭けるだけです。
 この単純さ故に、どの札が引かれるかを予知する呪術が広く流行し、転じてトランプ占いの様な機能を持つに至りました。
 花会は明治大正期の日本でも賭博として大流行しました。
 三十六枚の札はいずれも稗史に語り継がれる悪漢英雄にちなんだもので、荒唐無稽な伝記が語り継がれています。
 また、占術としては花会に参じた人の未来を占い、そこにあらわれる人の官位や性質を表すと言います。
 三十六枚の札に記される名と、そして性質、官位を以下に示します。

人物名官位性質 人物名官位性質 人物名官位性質
林太平皇帝飛龍の化身 張舐金乞食金持ち蛇の化身 趙天申漁夫金猫の化身
林艮玉皇帝揚羽蝶の化身 張合海下僕蝦蟇の化身 方茂林和尚蜂の化身
陳吉品宰相綿羊の化身 李漢雲将軍牛の化身 田福桑和尚犬の化身
陳攀桂榜眼田螺の化身 李日宝探花亀の化身 雙合同妓女白鴿の化身
陳逢春状元喜鵲の化身 李明珠道姑蛤の化身 龍江祠龍神蜈蚣の化身
陳人生探花白い鵞鳥の化身 鄭天龍石の化身 宋正順皇帝猪の化身
陳日山乞食鴨の化身 鄭必得将軍鼠の化身 朱光明軍師馬の化身
陳安士狐狸の化身 蘇青元状元魚の化身 王志高国王蚯蚓の化身
陳元吉宰相鹿の化身 周青雲轎夫鶴の化身 黄坤山将軍虎の化身
陳三槐元帥鬼、あるいは白猴の化身 呉占魁状元白鰲の化身 劉井利道士鼈の化身
張九官病者赤犬の化身 馬上超一品夫人飛燕の化身 翁有利漁夫象の化身
張火官員外火鶏の化身 羅只得屠殺者子犬の化身 徐元貴乞食海老の化身

永遠の満月の方程式

 数学者ラグランジュが表した、オカルト的な数式です。
 力学や、天文学、あるいはSFなどでいわゆるラグランジュ・ポイントと呼ばれる、二つ(あるいはそれ以上)の天体の間での、力学的な平衡点のことです。
 これを太陽と地球に当てはめ、月の静止位置を求めたものが<永遠の満月の方程式>なのです。その距離は、現在の月の公転軌道から約4倍と言われています。
 ラグランジュ・ポイントについて少々詳しく言えば、お互いのまわりを回り合っている2つ天体の周辺で、主星の重力、伴星の重力、公転運動に伴う遠心力を考えたときの、力学的な平衡点のことで、2つの天体の公転面内に現れ、主星と伴星を結ぶ線上に3つ、主星と伴星と頂点とする正三角形の他の頂点上に3つの、合計5つがあります。
 これらの平衡点は、それぞれ第1ラグランジュ・ポイント(L1)~第5ラグランジュ・ポイント(L5)と呼ばれています。

急々如律令

 支那を元に発生した、様々な呪法の締めに登場する呪文です。
 意味は読んで字の如く、「急々」=急いで、「如律令」=律令の如くせよ、というものです。
 漢朝の行下に書ごとに皆、「如律令」と書いたことにちなんでいます。

天狗

 一口に天狗と言っても、時代と地域によりそのイメージにかなりの差があります。
 現代の赤ら顔に鼻が高く、羽団扇に下駄、烏の羽などというイメージは中世以降に固まったものであり、それより前は、山の異人、神霊などの総称でした。
 天狗は最初、日本書紀に、天狗(あまきつね)として著され、これは流星のことであり、これが鎌倉時代に入ると、平家物語などに烏天狗として著されるようになります。
 この時代から、天狗は山伏の姿となり、今昔物語、太平記などに頻繁に登場します。
 これらのイメージは修験者からとられたものであり、異常な早さで山々を駆け巡る様が天狗の飛行自在のイメージを生み、また、様々な験力の伝説などと相まって、山伏と天狗が混同されていきました。

『竹内文書』、あるいは『竹内文献』

 竹内文書は、竹内巨麿の魔法の蔵から発見された古文書、物品群です。
 竹内文書の成立は800億年前と主張しており、天皇家が保持していたものをその祖先が南朝方の後醍醐天皇の崩御に際し、『本来の』天皇家の宝物の保管を命じられたと主張しています。
 天津教の教典にもなったその内容は、それまで伝えられていた天皇史観や、古事記、日本書紀を否定するもので以下のようなものとなっています。

『天皇の起源は宇宙からやってきた。
 神武天皇以前に26朝1168代の天皇(あるいは神)がおり、日本だけでなく世界を支配していた。
 2000億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先となった。日本人はこの五色人の上にある黄金人で統治する立場である。
 キリスト、釈迦、マホメット、モーゼ、孔子等々、世界的に有名な偉人はみな日本で修行、超能力を身に付けた。
 世界の文明は全て天皇が残したものであり、全ての起源は日本にある。
 アメノソラフネという空飛ぶ円盤で世界中を移動した』

 竹内の蔵には何故か相手の望む古文書が収蔵されており、注文に応じて様々なものを取り出しました。以下に、主なものを上げておきます。

キリストの墓

 キリストの墓も竹内巨麿によって『発見』されています。
 昭和9(1934)年、坂井勝軍が日本画家の知人、鳥谷幡山に件の青森県戸来村に招かれ十和利山を日本第二のピラミッドとして認定します(ちなみに、第一のピラミッドは広島県の葦嶽山)。
 これは特に調査もせず、外観から認定するという至極いい加減なものでしたが、現地の人々は大喜びだったと言われています。
 翌昭和10年、今度はその酒井に招かれて竹内が戸来村を訪れ、やはり何の根拠もなくキリストの墓を認定しました(一応、天津教の皇祖皇太神宮に保管されたいた「キリストの遺言」が根拠であると言われていますが、もちろんそれもいい加減なものです)。
 この後、この「キリストの墓」を山根キクが独自に調査し『学術的に』補足した「光は東方より」を出版し、何故かそれなりに世間では知られるようになったようです(ちなみに、戦後に「キリストは日本で死んでいる」が出版され、前の「光は東方より」と合わせて世間に広まりました)。
 また、この「キリストの墓」の所有者であった沢口家の人間をキリストの子孫と認定しています。

シオン議定書

 現在でも未だに流布する反ユダヤ主義の偽書です。
 起源は白系ロシア(帝政ロシア)時代に、その秘密警察がパリで作成したものです。内容は『ユダヤ人がフリーメーソンと協力してキリスト教の排撃と世界征服を画策している』というもので、1897年にバーゼルで行われた第1回シオニスト世界会議での報告書という形式になっています。
 独力で作成するには難しかったのか、モーリス・ジョリの反ナポレオン3世の革命パンフレット『Dialogue aux Enfers entre Macchiavelli et Montesquieu(マキャベリとモンテスキューの地獄での対話)』を流用されたものである、というのがすでに1921年のロンドンタイムズによって検証されています。
 12か国語以上に翻訳され、帝政ロシア時代から順次引き継がれており、反ボルシェビキ、ナチスまでもが利用してユダヤ人攻撃の根拠としました。1920年代には日本にまで伝播したと言われています。
 日本では酒井勝軍が大正7(1918)年にシベリア出兵に同行した際、ロシア軍将校より教えられたらしく、帰国後に反ユダヤ主義的な『猶太人世界征略運動』『猶太民族の大陰謀』等を出版しています(が、その後酒井は『竹内文書』に転び、正反対ともいえる日猶同祖論を唱えるようになります)。

千里眼事件

 明治43(1910)年、熊本に住む御船千鶴子(みふね・ちづるこ)が千里眼(透視能力)の持ち主として、東京帝国大学の助教授であった福来友吉(ふくらい・ともきち)によって検証実験がされました。
 最初は郵便で封をした透視の対象を送り、答えを返すという形式で通信実験を行い、当然、このような検査では全く検証になっていなかったのですが、福来は御船の透視能力を確信したと言います。
 同時期に、熊本を訪ねた京都帝都大学の今村新吉(いまむら・しんきち)博士が同様の実験を行ないましたが、こちらは立会人が居たのですが、それに対して背を向けて行なったとされており、検証としてはやはり不十分でした。
 福来、今村の共同実験も行なわれたのですが、こちらも人に見られるのを嫌がった御船の要望により、別室で一人で透視を行なうというものとなっています。
 その後、これらの実験結果を福来が東京帝都大学の心理学会にて報告、議論を巻き起こし、やはり検証の為の通信実験を続けました。今村の方も同様に通信実験を続けており、同年6~7月の間に、『大阪朝日新聞』に「透視に就いて」と題した連載寄稿文を発表しています。
 この記事により、御船の存在や、千里眼、透視といった言葉が世間に広まり、一種のブームを呼びました。
 9月になり福来、今村共同の実証実験が京都で実施されましたが、こちらも検証実験としては不十分なもので、やはり決定的な実証結果は得られていません。
 さらに、同月に東京で実験が行なわれます。この時、福来、今村に加え、御船の親族や、学者と新聞記者も参加させた為、大きな話題になりました。
 しかし、この実験も前の実験と同じように、完全に人前で実施されたものではなく、結果に疑義が残るものでした。この後、11月にも福来が熊本で実験を行なっていますが、同様に実験を行なっており、完全に千里眼が立証されたわけではありません。

 翌明治44年1月、御船は24歳の若さで自殺をしてしまいます。これらについては、実験についてマスコミが面白おかしく取り上げた、否定的なものだった、というのが原因だと言われています。
 しかし、当時、表立って彼女の能力を批判した新聞等はなく、学者達も否定的というよりも、実験の方法に疑義があり、肯定も否定も出来ない、よりしっかりとした実験を求む、という態度がほとんどだった言われています。
 御船が自殺した背景には、彼女がこの千里眼を使ってかなりの額の金銭を得ていた為(三船の実家には、死後、20万円(現代の価値にすると2-4億円となる大金です)という大金が残されていた、といわれています)、これを巡って家庭内での問題があったようでした。

源義経、ジンギスカン説

 江戸初期より歌舞伎や講談でジンギスカン=義経説は扱われており、こういった内容の素地があったことも確かです。江戸期はまだマシで、衣川で死なず、蝦夷に逃れたぐらいだったのですが、幕末になると何故かその後に大陸に渡り、さらに「ジンギスカンは義経だったんだよ!」というトンデモな説にまで発展します(シーボルトが唱えた、と言われていますが彼も医者であって歴史学者ではありません)。

 大正13(1924)年に『成吉思汗ハ源義経也』という書籍が出版されました。作者は小谷部全一郎、歴史学者ではなくアメリカのエール大学で哲学を学んで学位を取った博物学者です。
 この本で、小谷部自身の大陸での発見、体験をもって題名の「ジンギスカンは義経である」という説を唱えており、歴史的な検証を始め、一切の証明はされていません(そもそも日本人が唱えているだけです)。
 要するに「本人の感想です」なのですが、何故かこの荒唐無稽な内容を信じる人々が多く出現、大ヒットしたことで相当な数の『信者』を生み出しました(この説の『信者』は未だに多数存在しています)。
 また、東北地方から北海道では義経が生存して逃れてきた伝説が語り継がれていることもあり、根拠の無いこの説を指示(というよりももはや信仰)していることが多いことも確かです。

大正の心霊ブーム

 産業革命以降の物質主義、科学万能主義に対するカウンターとしてなのか、科学万能主義が行き詰った結果か、その時点での科学では解明できない現象に対して説明を付ける為なのか、あるいは急速な工業化にともなう貧困の増大と都市部環境の劣悪化、社会主義、共和主義者による社会運動の浸透による世情不安などからか、19世紀後半から神智学や心霊術など、オカルトブームが起こりました。
 その起源については様々に言われていますが、おおまかにアメリカで発生、イギリスへ流入、以降世界各地へ輸出されました。当時はまだ科学的な分析の過渡期でもあり、単純に非科学的なものとして否定はされず、それどころか教養人の間で流行を見ました(批判の主眼は自称霊媒達のイカサマや、詐欺でした)。
 日本でも江戸末期から明治期にかけては個人の輸入による断片的な内容が中心でしたが、明治末期、大正期にはイギリスの心霊主義の書籍が翻訳、出版されるとともに、福来友吉が千里眼を科学的に検証しようとした『千里眼事件』、長尾郁子の透視実験なども起こっており、世間ではちょっとした心霊ブームとなっています。
 これらの心霊主義に影響を受けた文学作品も多く出版されており、有名なところでは夏目漱石や、芥川龍之介の作品や、森鴎外『魔睡』(こちらは当時流行した催眠術)、志賀直哉『焚火』などです。

 このブームに伴い、20世紀末にも流行ったような様々なおまじないが、大正期にも大量発生しました。科学的な根拠は乏しい、というよりも無いものですが、昔からあるおまじないの類から疑似科学に、それっぽいだけの完全な創作までとやはり似通ったものが多く見られます。
 明治初期にテーブルターニングやウィジャ盤などが外国から輸入(おそらく、同じような心霊ブームにあったイギリスから)されて、これを日本風にアレンジしたものがこっくりさんだと言われています。
 そして、このこっくりさんを行った少年少女が突然死亡したり、狐憑きのようになって行方不明になったりと、昭和で起こったような事件と同じようなことが起こった言われています。