光月町
光月町は実在した住所です。
現住所は台東区千束、入谷。現在地図で浅草観音までわずか徒歩12分の距離の場所にありました。
明治11(1878)年の群区町村編制法により、東京府東京市の浅草区内に誕生し、昭和8(1943)年に一部を下谷区に移して、下谷光月町、浅草光月町に二分されました。
戦後の昭和22(1947)年に、台東区発足にともない再び統合、昭和40(1965)年の住居表示制度実施で、東側が千束2丁目、西側が入谷2丁目に編入され住所上の町名は消えてしまいました。
現在は旧町名として町会名に「光月」が残っております。
光月町の寂れた神社を『月光教団』は占拠しています(不法ではなく、金にものを言わせて土地を借りている形を取っています)。
周辺住人は『月光教団』をよくある新興宗教として捉えており、胡散臭い目で見ながらも、問題さえ起こさなければよい、と思っています。
また、新興宗教として入信者が絶えない様を不思議にも感じています。
唯一、付近の住民から神社からたまに強い獣臭、山羊の様な匂いがすることだけは迷惑に思っています。
月光教
月光教について
光月町にある無人だった神社を、金の力に任せて借り入れ、作り替えて教団の施設としています。
表向きは仏教系の新興宗教であり、何故か般若心経を朝夕に唱える声が聞こえてきます。
一般へ説かれている教義は以下の様なものです。
一、大鏡様は母なる大地そのものであり、私たちは仔山羊である。
二、仔山羊である私たちは大鏡様への供物である。
三、大鏡様に捧げられた私たちは生まれ変わる。
四、生まれ変わりは喜びである。大鏡様に感謝し、尽くすこと。
要約すると、彼らが信仰する神が『大鏡』と呼ばれており、信者を生まれ変わらせ、それは至上の喜びである、ということです。
一般的な宗教ならば、生まれ変わりとは、宗旨、精神的な転換のことを指しているのですが、彼らの信仰は物理的な転換、つまりシュブ=ニグラスに祝福されしものへの生まれ変わりです。
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この教義に探索者がこだわる可能性がありますが、表向きの話である、ということを強調してください。
そして、生まれ変わりとは、新興宗教などでよくある「俗世から離れて教団に入信することは、あなたが特別な存在に生まれ変わることなのだ!」とか、「入団によって、あなたは生まれ変わって、俗世の苦しみから解放されるのだ!」と言ったことだと伝えてください。
『月光教』では、教祖のことも『大鏡』と呼んでいます(母なるものより生れ出た、その代理人でもあるので)。
敢えて探索者にはそういったことを説明せず、求められた場合に言うようにしてください。
現在、教団を実質的に取り仕切っているので天宮という男です。探索者が『月光教』の施設を尋ねた場合、彼が対応に出てきます(他の信者は探索者などの部外者はあまり相手にしません)。
彼は美紗崎家の家令のような存在でもあり、美由/詩由の世話もしています。
『月光教』では『満月の儀式』に向けた準備を進めています。
十二階の展望階で行われている儀式は、『満月の儀式』の為の下準備であり、リハーサルのようなものです。
この儀式の生贄には、人間が最も効率が良いのですが、それでは目立ちすぎる為に、『満月の儀式』の本番以外では家畜の肉を使っており、それらを買い込んでいます。
また、それだけでなくシュブ=ニグラスに祝福されしものに変異した信者達が、通常の食事では満足せずに生肉を食していることもあります。
当時は、奇形者や、生肉を食すといった見世物が珍しくはありませんでした。この為、『月光教』では見世物はやっていませんが、そういった噂が近隣住民には囁かれています。
江津森よりやってきた信者のほとんどは、シュブ=ニグラスに祝福されしものであり、幅はありますが身体の変容が進んでいるものが大半です(ゴルゴロスのボディワープによって、元の身体を再現している場合もありますが)。
彼らが十二階下で遊んでいるのは単純な娯楽の為だけではなく、信者と生贄の調達でもあります。
この為、『月光教』には十二階下や、浅草周辺に住む多くの男女が入信しています。
また、彼らは多額の資金を持っており、それらを惜しみなく使って人を雇ったり、必要なものを購入したりしています。
(資金は全て美紗崎家から出ているので、特に怪しげなルートではありません。ただ、そういった資金がどこからと探索者が怪しんだ場合は、江津森の情報として美紗崎家がかなりの資産家であることを伝えてください)
この『月光教』の急激な信者の増加、勢力を伸ばしていることは、近隣の警察署、象潟(さきがた)署でも取り締まりとまでは行きませんが、ちょっとした話題になっています。
時期的にもまた、十二階下に大規模な手入れでもしようか、という話が象潟署の中でもあります(十二階下には大正3、5、7年に大規模な手入れが入っています)。
(この象潟署は浅草を舞台にした小説などによく出てくる警察署で、浅草寺の裏手、北側にあります(現住所では、台東区浅草4-47-11、浅草観音まで徒歩10分程度です)。ちなみにこの像潟という町名も、光月町と同じ時期の住居表示制度によって消滅しています)
『月光教』の施設
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信者の中でもシュブ=ニグラスに祝福されしものとして変異が明らかに分かる者の住処です。
付近へ近づくと、何故か山羊のような強い獣臭と人間の饐えた匂いが混じったようなにおいがします。
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A |
厠です。 神社などの雰囲気に反して、清潔に保たれています。 |
B |
厨です。 大勢の信者達と、訪問者達をもてなす為か、常に炊煙が上がっており、中では料理人たちが忙しく立ち働いています。 |
C |
教祖である『大鏡』=詩由=美由の私室と寝間です。 奥の部屋とは簾のようなもので分けられています。 |
D |
信者達でも上位のものや、特に呼ばれた者などが『大鏡』と面会する為の部屋です(部屋の点線は簾です)。 正面に扉はなく、『大鏡』は部屋の奥、濃い簾の向こうから話しかけます。この簾の向こう側に半ば隠し扉のようになっている、私室へと続く扉があります。 |
E |
神社の本殿であった場所を改造した大きな広間です(部屋の点線は簾です)。 通常の信者達がやはり簾の向こうから『大鏡』の教えを聞いたり、天宮の話を聞いたりする場所です。 真ん中に『大鏡』=ムーンレンズが立てられています。 |
F |
神社であった痕跡で、手水場です。 現在は濁った水が溜まっているだけです。 |
G |
神仏習合の神社であった証の鐘撞堂の跡です。 現在は鐘は吊るされておらず、空虚な空間となっています。 |
その他 |
信者が暮らしたり、入信希望者が一時的に居る場所だったりします。 基本的に皆、教祖の『大鏡』を恐れてEの本殿裏の奥へは進みません。 |
教団が使っている廃神社は神社とは言いますが、神仏習合の名残がはっきりと残っており、人手が入って修理してある箇所はともかく、それ以外の場所は妙に廃墟のような雰囲気が漂っています。
これは明治初期の廃仏毀釈、神仏分離令の影響によってこの神社が破壊、廃棄された痕跡です。
施設の周りは神社そのままなので手入れがほとんどされていない生け垣があるだけで、中を覗くことは可能です。
出入り口も鳥居が正面と、厨の近くの2か所にありますが、生け垣を越えて外から出入りするのも簡単です(特にロールの必要はありません)。
『月光教』は信者を増やそうと開かれた新興宗教を装っています。この為、正面から入るのは簡単です(むしろ、裏からや、夜間に侵入した方が怪しまれるでしょう)。
特に案内などはありませんが、鳥居を潜り、参道を辿って本殿へ赴いた場合、開け放たれた格子戸の向こう、本殿を改装した大広間からは説法のようなものが聞こえてきます。
数十人の人間が楽に収容出来るスペースに入ると、まずその真ん中に立っている奇妙な物体に目が奪われます。
そこには金属で出来た骨組み、櫓のような、塔のようなものが立っている。
その小さな鉄塔は、不規則に配置された花びらのような鏡に囲まれており、最も高い位置には凸レンズのようなものが配置されていた。
その奇妙な姿は月下に咲く花のようなにも思えたが、可憐な印象よりもどこか不吉な禍々しい印象を与える。
この『大鏡』=ムーンレンズをPC@が見た場合、
記憶Bのハンドアウトを提示してください。
それらの周りに信者と、入信希望者が座っており、奥に立っているこの場に似つかわしくない、白い三つ揃えを来た男の説法を聞いています(表に出てきている信者はまだ変異していないか、変異が激しくないものです)。
三つ揃えを来た男は奥に掛かっている簾のようなものの前に立っており、その中には人影が見えます。これは『大鏡』である詩由=美由です。
探索者の反応にもよりますが、黙って話を聞く場合は、三つ揃えの男が語っているのは、『月光教』の教えです(と言いつつ、天宮個人の知識でもありますが)。
これらの話を聞いた場合、探索者に『月光教』の教義を教えるとともに、以下の描写を行って下さい。
この場に似つかわしくない、白い三つ揃えを着た長身の男が、簾の前をゆっくりと左右に歩きながら、座っている信者に語り掛ける。
内容はともかく、魅惑的とも言える声、語り口に、圧倒的な知性を感じさせた。
「あなた方はまだ何も理解していないと見えます。
まだ何も……今、あなた方に語ろうとしているのは、かのものがここにいるという事、今この瞬間も近くにいるという事です。
かのものは人類の栄える遥か以前よりここにいたのです
…おそらくは悠久の時をここで過ごしてきたのか、あるいはいつの時代にか向こう側からやって来たのかも知れません。
しかし、別のもの達――グリュ=ヴォより来るもの達――が、かのものを星の封印の中に封じ込め、ただ月のある夜にのみ彼らが封じた領域の内よりその肉体を現し得るようになったのです。
もし逆角を通じて召喚出来る場合は、部分的に肉体を得るだけとはいえ、かのものは歩み出る事になります。
――サバトにおいて現れたもののように」
探索者には理解し難い内容ですが、ぶっちゃけ理解する必要はありません。
要約した内容を特に伝える必要もありません。探索者の側から何か質問等が出た場合は、探索の一環として天宮に聞いてみるように言うとよいでしょう(相手にされませんが)。
天宮の説法の最中でも後でも、ムーンレンズを探索者がよく観察した場合、その材質がよく分からないことに気が付きます(≪地質学≫や、≪化学≫に成功した場合、専門家の知識の範疇外であることが分かります)。
また、花びらのように配置された鏡(のようなもの)は、中央の凸レンズのようなものへ向いていることに気が付きます。
(屋内に配置されており、ムーンレンズは『月光だけを集める』為、昼間ではその構造に反して、ほとんど光を反射していない為、このレンズの持つ機能については推測ができません)
天宮の前でムーンレンズに興味を示した場合、彼はやんわりと以下のように語り、手を触れないようにと注意してきます。
「これは教団にとってとても大切なものです。我々の神も『大鏡』様であり、教団を率いているのも『大鏡』様であり、そしてそれも教団の象徴である『大鏡』なのです」
探索者が天宮と話がしたいと持ち掛けた場合、基本的に彼は「忙しいので」と断ってきます。強硬手段に出ようとした場合、周りには一般の信者も多く、天宮と探索者の間の雲行きが怪しくなってくると、それとなく囲み始めます。
『大鏡』との対面
探索者が施設に潜入を試みた場合、随時、≪忍び歩き≫、≪隠れる≫などを要求してください。
潜入に成功するか、あるいはPC@が一人で正面から尋ねた場合は、Dの信者用の部屋で御簾越しに大鏡(詩由=美由)と対面することになります。
この場では『大鏡』=詩由であり、自身のことも詩由と認識しており、美由のことは妹が、と受け答えをします。
彼女は『月光教』の教祖の立場にあり、それ以外のことにはあまり興味を持っていません。また、天宮が行おうとしている『満月の儀式』についても、江津森の祭祀の一つである為に、あまり疑問に思っていません。
彼女にとって、儀式に使う生贄が何か、どこから調達してくるのかは埒外で、単純に天宮のことを信用している為、儀式については全く疑問に思っていません。
詩由は純粋に『大鏡』を信じており、生まれ変わることは幸福になるのだ、と信じています。
彼女は探索者についても不審者であるとも思っていません。慣れない信者が迷い込んだのであろうぐらいの反応であり、自身を害するものだとも思っていません。あるいは、自身の運命についても全て『大鏡』が決めていることであると考えています。
直接、彼女と対面してもさしたる情報を得ることは出来ません。天宮の説法で聞いたような『月光教』の教義を聞くことが出来るだけです。
ただ、PC@だけは自身の記憶の通り、美由が双子であり、姉の詩由が居ることを確認できることになります。
この『大鏡』=詩由との対面をPC@が果たした場合、
記憶Cのハンドアウトを提示してください。
詩由の私室を家探しした場合、特に何も見つかりません。
この部屋はあまりにも生活感が無いのに加えて、ほとんど私物が無いのです。
≪目星≫か、時間をかけてじっくりと調べた場合、彼女に衣服の中に美由が着ていたものが混じっていることに気が付きます(美由がここで一緒に暮らしていると考えるのが自然なのですが)。