山羊の花嫁 背景情報(KP向け)

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『山羊の花嫁』目次:
■はじめに
>背景情報(KP向け)
 □シナリオの概要(KP向け)
 □過去にあったこと
 □伝承という名のカバーストーリー
 □現在に起こっていること
■登場人物(NPC)
■シナリオのチャート
■導入部
■八出村の探索
■八出村の神事
■終幕部
■データセクション

背景情報

 キーパー向けとなるシナリオの背景情報となります。
 シナリオには直接関係ない情報も多くありますが、理解の助けとなるでしょう。

シナリオの概要(KP向け)

 探索者達は岡山の山奥にある八出村に、それぞれの事情から赴くことになります。
 八出村で、『山の神』に嫁ぐ神事が行われることになっており、それを見学する為です。
 八出村は『山の神』に生贄を捧げることで、神を呼び出し、その陽気、生命力を土地へ分け与えることで八出村は栄えてきました。
 このような人身御供の儀式は古い時代に駆逐されたのですが、江戸期になり復活し、村が栄えることで再び廃れていきました。
 現在になり、この信仰と儀式は失われていたのですが、山上鞠枝が『休閑地』において血を流したことで『山の神』が再び活性化し、生贄を求めて夢引きを行うようになります。
 結果、遠い目をした少女となった鞠枝は、一時、転地療養を兼ねて帝都の女学校、桜嶺女学院へと通っていたのですが、卒業後に再び八出村に戻ります。
 村では、『山の神』の夢引きの影響を受けた村人が、儀式を復活させていました。
 形ばかりの儀式であったはずなのですが、鞠枝が神の花嫁として選ばれる為に儀式によって本当に『山の神』を呼び起こしてしまいます。
 探索者達は八出村において神に嫁する祭りの意味と、山の神について探索を行い、そして神と対峙することになります。

過去にあったこと

戦国期の以前

 貧困にあえぐ村人たちが、村を訪れた旅人を殺害、所持品を奪う事件が起こります。
『休閑地』で旅人を殺した村人たちは、事件の露見を恐れて死体を『御山』に埋め、関係者以外立ち入り禁止としました。
 元々『御山』には神が居る為に禁足地としていたのですが、死体が埋められたことによって『山の神』が活性化し、さらなる生贄を求めて村に降りてくるようになります。
 村人たちは人身御供を捧げることで、『山の神』が『御山』に帰っていくこと、『山の神』が降りてくると陽気を振りまき、土地が肥えることが分かり、年に一度、人身御供を捧げる儀式が習慣化します。
 人身御供となった者は、一定の期間を経てシュブ=ニグラスに祝福されしもの、ゴフン・フパージ・シュブ=ニグラスとして生まれ変わり再び村人たちの前に現れましたが、受け入れらることはなく『御山』で神の使いとして生きることになります。

戦国期

 不穏な噂のある村の調査の為に、領主の依頼を受けた探索者達が村を訪れます。
『山の神』と称した邪教の儀式において、人身御供の儀式が行われていることを突き止めた探索者達でしたが、囮として村に入り込んだ一人が酔い潰されて生贄にされてしまいます。
 しかし、大酒を喰らっていた為か、『山の神』が人身御供を吐き出した為にその探索者は助かりました。現れた『山の神』を叩きのめし、国許に帰って村の現状を報告します。
 結果として村は大規模な掃討戦がなされ、村は廃村寸前に、『御山』に潜んでいたゴフン・フパージ・シュブ=ニグラス達も全滅しました。
※このシナリオは『山羊の花嫁・戦国編(比叡山炎上編)』として発表されません。

江戸初期

 キリシタンへの弾圧が激しくなり、元は九州方面に居た隠れキリシタンたちが八出村にまで流れてきました。
 彼らはキリシタンを装っていましたが、シュブ=ニグラスを信奉する邪教の集団でした。『山の神』に信仰するシュブ=ニグラスとの同一性を認め、再び人身御供を捧げることで復活を試みます。
 人口が少なくなってしまった村を維持する為に密かに彼らを『御山』で保護していましたが、不穏な空気を感じ『山の神』を復活させようとしていることを知ると、その儀式の邪魔をして生贄となるべきだった村人を助け、代わりに彼らの連れていた山羊を捧げました。
『山の神』は人身御供と同じく、村に豊穣をもたらすとともに、畸形の山羊が繁殖するようになります。『山の神』に捧げられた山羊は、シュブ=ニグラスに祝福されしものと同質の、山羊のゴフン・フパージ・シュブ=ニグラスとなったのです。
 以降、『山の神』を誘い出す為に花嫁を差し出した後、生贄として山羊を捧げるようになりました。

江戸後期

 人身御供の代わりに山羊を捧げていた為に、『山の神』が振りまく陽気は弱くなっています。その為に、村の麦の収穫量は落ち、八出村にも飢饉が襲うようになっていました。
 そんな中、他に食べるものがない上に、なんでも食べてしまう山羊を食すようになります。
 最初は隠れて、次第に大胆になり、神の恵みとして『直来』と称して神の前で食べるようになりました。
 生贄が捧げられなくなったことで『山の神』は里へ下りてくることがなくなり、儀式は廃れていきますが、『山の神』の陽気が残った麦畑は辛うじて作物をもたらし続けていました。
 山羊を食するようになった村人たちの間に『聖アントニウスの火』に似た病が蔓延しますが、それは神に近しい者となった徴だと言われ、尊ばれるようになります。

明治初期

 明治初期に吹き荒れた廃仏毀釈は、山奥の寒村にまで及びます。
 村にかろうじて残っていた神仏習合の古い信仰も、破壊され、失われてしまいます。
 儀式は完全にないものとされ、村には空の神社が残るのみとなりました。
 以降、村は麦の収穫量もさらに減っていきますが、都会に出て働く人間が増えていくとともに、地主の山上家が都会で商売に成功した為に、村自体は衰退の道を辿っていますが外貨が流れ込み大きな問題とされていません。

伝承という名のカバーストーリー

戦国期の以前

 旅の六部が霊場を求めて八出村(当時は名も無い村落)を訪れます。
 村には霊場などなかったのですが、六部が『御山』に仏がおられると嘯き、立ち入ることを禁じていた『御山』に踏み入ってしまいます。
 これに怒った村人たちが六部を追い掛けて『御山』で六部を殺したところ、そこから仏が、次いで『山の神』が出現し、以降、信仰の対象としたと言います。

戦国期

 戦国期の伝承は2種類が伝えられます。

 村に旅の侍が訪れます。
 周囲の同じような村が餓死や疫病に苦しんでいるにも関わらず、八出村は繁栄しており大きな村に発展していました。
 しかし、村人たちはどこか怯えた様子で、侍に怯えるように語ります。
『御山』には『山王様』がおり、それに生贄を差し出すことで村の豊穣を約束しているのだ、と言います。
 一宿一飯の恩義の為、侍は自ら人身御供となることを買って出て、見事に『山王様』を退治します。
 しかし、『山王様』を失ったことによって村は没落を始めたと言います。

 村を訪れた侍が一夜の宿を求め、快く迎え入れられます。ちょうどその日は、『大師講』の日でした。
 侍は村人たちから酒食のもてなしを受け、すっかり酔いつぶれてしまいます。
 酔いつぶれた侍は『休閑地』へ運ばれ、『山の神』への生贄として捧げられてしまいます。『大師講』と言われていたのは、『山の神』へ生贄を捧げる日のことだったのです。
『山の神』は酔った侍はを食った為、悪酔いをしてしまい侍を吐き出してしまいます。
 意識を取り戻し、『山の神』を斬り殺した後、村から逃げ出しました。
 以降、村での人身御供の儀式は止みましたが、没落を始めたと言います。

江戸初期

『山の神』、あるいは『山王様』が殺されたことで、八出村は衰退していました。
 そんなとき、西から来た山羊を連れた旅の一団が村に現れます。
『山の神』の話を聞いた彼らは、自身の信仰と合わせてそれを復活させます。最初は人身御供を捧げようとしていたが、そうすればまた神が殺される二の轍を踏むことになります。
 彼らは人の代わりに山羊を捧げることで、どうにか『山の神』に満足をしてもらおうと考えました。
 人身御供の代わりとして花嫁として一夜だけ預け、実際には山羊を捧げることで、『山の神』は満足して『御山』に帰っていくようになったと言われます。

江戸後期

『山の神』により、八出村は繁栄していました。
 労働力が多くなることで村は『山の神』に頼ることが少なくなってきていました。しかし、人が増えた分、食べ物が必要となり山羊を食するようになります。
 信仰のもともとの形は失われて行き、神の恵みとして山羊を神に捧げて、食す形式が伝えられるようになっていきました。
『山の神』は村人が山羊を食すのに怒り、姿を現さなくなったと言います。

明治初期

※明治初期は伝承がありません(伝承になるほど昔ではない為)。

現在に起こっていること

 山上鞠枝が『休閑地』で血を流したことにより、彼女は『山の神』に花嫁、生贄として認識されます。
 長らく人身御供が捧げられることがなかった為に休眠状態だった『山の神』が、捧げられた生贄を求めて活性化しました。
 鞠枝は生贄に認定されたことで『山の神』から夢引きを受けており、それによって狂気が進行していますが、山上家の財力により当時としてはよい治療を受けていることや、遠く帝都に出されることで一時的にその進行は止まっていました。
 帝都から鞠枝が戻った為に、再び『山の神』から夢引きを受け始めます。また、村の人間の多くには山羊を食することで『山の神』の一部が取り込まれていることもあり、同じく夢引きの影響を弱いながらも受けています。
 それによって、村の麦の収穫量が減っていることも手伝って、昔の祭祀を復活させようということになりました。
 しかし、村の古老ですら祭祀がどんなものであったか分からない為に、山上家の伝手を頼って民俗学者に調査をさせて形ばかりの祭りを復活させます(この民俗学者は、小出の知人となります)。
 再び、村で祭祀が行われることが決まると、鞠枝は村の祭祀に興味を持っていた帝都の小出を思い出して、招待の手紙を送ります。
 また、山上家としてもどうせやるなら村の宣伝も兼ね、ついでに観光資源化できればと考えている為に、知人や友人を招きました。
 この招待された中に、探索者自身や、関係者、あるいはパトロンとなる古井などが含まれており、それによって、探索者達が村を訪れることになります。